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長崎市唯一の城下町「深堀」で遠い昔にタイムトリップしてみよう!

海外交易の長い歴史を持つ長崎市は、教会や中華街など海外の文化の影響受けたものがたくさん残っていますね。そんな中にありながら、長崎市の南西部にある「深堀町(ふかほりまち)」は、長崎市内で唯一、武家屋敷があった所で、今でもその面影を残す建造物が残っています。その他、古いお墓や縄文時代の遺跡もある深堀町。この町に足を運んで、遠い昔にタイムトリップしてみましょう!

深堀町に残る日本的な遺跡を訪ねるには深堀体育館からスタートすると、スムーズに見て回れます。最初は武家屋敷跡エリアです。長崎市の中心部は、江戸幕府直轄の地(天領)だったため城下町が作られませんでした。深堀町は長崎市でも南西の端にあるため天領には含まれず、ここに佐賀藩の城下町が作られました。この城下町のエリアには今でも石垣や武家屋敷跡が残っています。一番良く原型を残しているのが樋口家の表門と石垣です。「まちづくり景観資産」として「景観重要建造物」に指定されています。

  • ©長崎県観光連盟
    深堀町に今でも残る石垣。

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    深堀町の武家屋敷跡。

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    武家屋敷跡として一番良く保存されている「樋口家表門」。

深堀町は、古いお墓がたくさん残っていることでも知られています。「お墓」・・・ちょっと不気味な感じがしますね。でも、こうしたお墓をよく調べてみるとそのエリアでどんな人がどんなことをしていたのかとか、当時何が起こったのかといったことが良く分かるようになります。

まず最初は「五官の墓」。この墓は林氏五官呉(普通は五官と呼ぶ)という明の貿易商人のものです。そのため墓も中国華南系の様式になっています。五官が交易を行ったのは1606〜1616年頃です。長崎、明、ベトナムなどの間でさまざまな物を売ったり買ったりしていました。そのため、このお墓の周辺には明から来た人が多く住むようになり唐人街としても発展していました。

次は、「十人義士の墓」です。「十人」となっていますが、墓地には十以上の墓がずらりと並んでいます。ここには、佐賀藩の武士と長崎の筆頭町年寄・高木家の使用人の間に起きた些細な喧嘩が元で命を落とした人たちが眠っています。事の起こりは、道を歩いて入るときにその武士が石につまづき、高木家の使用人に泥が掛かったという些細なことでしたが、最終的に高木家の主人高木彦右衛門が殺されてしまいました。この事件は「深堀騒動」と呼ばれ、参加した武士たちは、自害したり流罪に処せられてしまいました。そんな小さなことでもこんな大変のことになる江戸時代の様子が想像できますね。

最後に見学したいのが、「深堀鍋島家墓地」。この墓地は十人義士の墓のそばの階段を上った所にあります。大きなりっぱな墓がいくつか並んでいます。佐賀藩の家老を勤めていた18代目深堀純賢(すみまさ)家歴代の墓地です。純賢は後に名字を「鍋島」と変えたため、「深堀鍋島家墓地」と呼ばれています。

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    明の貿易商だった五官が埋葬されている「五官の墓」。

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    「深堀事件」を起こした義士たちが眠る「十人義士の墓」。

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    家老「鍋島」家代々の墓地。

十人義士の墓や深堀鍋島家墓地はすぐそばにある「菩提寺」の境内にあります。この寺院は1229年に深堀氏の祖先である三浦能仲(よしなか)が建立したものです。アーチ型の門が印象的で、寺院の建物の装飾もどこか異国的。境内には、平安時代に作られたと言われる高さ87.6メートルの木造薬師如来坐像が置かれています。

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    深堀町の歴史的な墓を見守る菩提寺。

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    アーチ型の門がユニークです。

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    建物の装飾は異国的。境内には木造薬師如来坐像が置かれています。

さて、これまでは主に江戸時代、そして平安時代に作られた建造物でしたが、深堀町にはなんと、もっとずっと前の縄文時代や弥生時代の遺跡も残っています。その内の一つが「深堀貝塚遺跡資料館」の屋外に展示されている「箱式石棺」です。これは弥生時代のものだと考えられています。その一つ前の縄文時代には、死体は直接地面に埋葬するだけでしたが、弥生時代になると箱の形をした石棺を使って埋葬していたことがわかります。
遺跡資料館には、深堀町やその周辺で発掘された土器などが展示されています。また発掘作業がどのように行われてきたのかということも説明されています。

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    縄文時代や弥生時代の遺物を展示している深堀貝塚遺跡資料館。

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    弥生時代に死んだ人を埋葬するために使われた石棺。

深堀町の散策も終わりに近づいてきました。最後は「深堀神社」です。この神社は深堀小学校の東にある小高い丘の上にあります。神社には長崎市の有形文化財に指定されている「石神門」と呼ばれる鳥居が立っています。深堀神社の2代目の鳥居で、1663年に建てた1代目の鳥居は1828年に台風で倒壊。1837年に、農作物が豊作となったため、それを記念して2代目が建てられたと言われています。鳥居の柱には深堀地区創設の由来が刻まれています。

長崎市の南西部の一角にある深堀町。武家屋敷跡や古いお墓、そしてそれよりももっと遠い昔の遺跡など、この町にこんなたくさんの歴史の跡が残っていたとは!ぜひ散策してタイムスリップしてみてください。

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    市の有形文化財に指定されている深堀神社の石神門には、深堀創設の由来が刻まれています。

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    深堀神社の拝殿。

写真提供:長崎県観光連盟
川棚町産業振興課
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。

掲載日: 2020/06/05
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。

インフォメーション

スポット名
深堀武家屋敷跡 / 五官の墓 / 十人義士の墓 / 深堀鍋島家墓地 / 菩提寺 / 長崎市深堀貝塚遺跡資料館 / 深堀神社
TEL
095-829-1193(長崎市文化財課)、095-871-0990(深堀神社)
住所
【深堀武家屋敷跡】〒851-0301長崎県長崎市深堀町5-191 ※見学は武家屋敷通りのみ可
【五官の墓】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目401番地
【菩提寺(十人義士の墓・深堀鍋島家墓地)】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目417
【長崎市深堀貝塚遺跡資料館】〒851-0301 長崎市深堀町5丁目165
【深堀神社】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目177

【深堀武家屋敷跡】〒851-0301長崎県長崎市深堀町5-191 ※見学は武家屋敷通りのみ可

【五官の墓】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目401番地

【菩提寺(十人義士の墓・深堀鍋島家墓地)】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目417

【長崎市深堀貝塚遺跡資料館】〒851-0301 長崎市深堀町5丁目165

【深堀神社】〒851-0301 長崎県長崎市深堀町5丁目177

※お出かけの際には事前に位置をお調べすることをお勧めいたします。
駐車場情報
【深堀神社】あり
営業時間
【長崎市深堀貝塚遺跡資料館】9:00~17:00
定休日
【長崎市深堀貝塚遺跡資料館】年末年始(12月29日~1月4日)
対象年齢
全年齢
料金
無料
アクセス
【深堀武家屋敷跡】「深堀」バス停から徒歩約10分
【五官の墓】「深堀」バス停から徒歩約10分
【菩提寺】「深堀」バス停から徒歩約10分
【長崎市深堀貝塚遺跡資料館】「深堀」バス停から徒歩約3分
【深堀神社】「深堀」バス停から徒歩約3分
公式サイト
深堀武家屋敷跡 https://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/660000/667000/p004116.html
五官の墓 https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/239/
菩提寺 https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000656.html
深堀鍋島家墓地 https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000552.html
長崎市深堀貝塚遺跡資料館 https://nagasaki-bunkanet.jp/institution/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E6%B7%B1%E5%A0%80%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E9%81%BA%E8%B7%A1%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8/
深堀神社 https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000585.html
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