平戸市田平町にある田平天主堂(カトリック田平教会)は、平戸瀬戸を見下ろす高台に位置し、海峡の向こう側には平戸島を望むことができます。1886年にラゲ神父が黒島から、そしてド・ロ神父は出津から、信者の数家族をこの地に移住させました。その家族らの祈りの中心となったのが、田平天主堂の始まりでした。当時は6畳ほどの集会所でしたが、1879年に仮聖堂が造られます。その後も信者の数が増えていき、田平天主堂周辺はキリスト教徒の一大拠点に発展していきました。
田平天主堂はどのように建てられ、発展していったのでしょうか。田平天主堂の歴史を探っていきましょう。
©田平教会
牧場から眺めた田平天主堂
©田平教会
敷地内にあるルルドの泉
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重厚なレンガ造りが目を引く
1914年、着任した中田神父の時代に天主堂の建立が計画されます。これまでに積み立てられた建築資金を基に、キリスト教信者の多い五島、紐差、長崎等からの募金と、紐差教会のマトラ神父の協力でフランス人篤志家からの大口寄付を得て、工事が始まりました。そして1918年5月に信者たちの尽力によってロマネスク様式の荘厳な赤レンガづくりの教会を完成させます。これが現在の田平天主堂です。
正面から見た田平天主堂
©田平教会
椿の咲く頃
©田平教会
3年の歳月をかけて、建設された田平天主堂は、長崎県を中心とする九州北部の数々の教会建築の設計及び施工に携わった鉄川与助(てつかわ・よすけ)の最晩年の作品です。外観、内部とも全体的に均整のとれた構成になっていて、鐘塔を中央に付設した象徴的な正面の構えや、多彩な煉瓦積み手法を駆使した意匠的に優れた外観となっています。天主堂の正面、側面、背面でそれぞれ煉瓦の積み方を変え、建物の下の部分や、ほか軒下の飾りにも、色彩のアクセントを付けています。田平天主堂の内部は、古代ギリシャ風の円柱、こうもり天井となっています。内壁は木質にペンキ塗りで仕上げられ、連続するアーチの高窓、椿の花の浮き彫りなどが美しい空間となっています。
その後、絵画を思わせるような色鮮やかで美しいステンドグラスが設置されるようになります。天主堂上部のステンドグラスは、聖書からそれぞれの題材を得て作成されたオリジナル作品で、1989年に設置されました。天主堂下部の物は、全てのテーマが『新約聖書』から採られています。イタリア・ミラノ市のアレッサンドロ・グラッシュ社制作の物で、1998年2月に完成しました。天主堂の周囲には畑、北側には歴代の信者が眠る墓地があり、辺り一帯の風景は、この地に根付いて生活してきたキリスト教徒の歴史を感じさせます。
©田平教会
色鮮やかで美しいステンドグラス。教会の壁面の上部と下部に飾られています
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ライトアップされた田平天主堂
©田平教会
クリスマスイルミネーション
田平天主堂の敷地内には、貝殻焼き場もあります。天主堂の煉瓦の目詰めに使ったアマカワ(石灰と赤土を混ぜたもの)を作る為に、信者たちは各家庭で食べた貝の殻や、平戸や生月島からも貝殻を集めてこの窯で焼きました。田平天主堂は、信者たちの協力で作った手作りの天主堂とも言えるのではないでしょうか。
そのほか敷地内に、初めて聖母マリアが出現したといわれている「ルルドの泉」もあり、聖母マリアが安置されています。司祭館をはじめ、門柱、石段、石垣などが当初の状態で残り、周囲の歴史的環境がよく保存されている点は、非常に貴重です。太平洋戦争時は、米軍の機銃掃射を受けるなど、数々の受難がありましたが、信者たちはこれを守り抜き、2003年、国の重要文化財に指定されるまで至りました。
ルルドの泉
©田平教会
あじさいの咲く頃
貝殻焼き場の跡。貝殻は、レンガを積むときの「接着剤」のような役割をするアマカワを作るのにつかわれました
重厚な赤煉瓦造りで、ススを塗った黒煉瓦による装飾が特徴の田平天主堂ですが、建設された当時は、煉瓦から鉄筋コンクリートへと移り行く時代でした。明治から大正にかけての建築家鉄川与助は田平天主堂を煉瓦か、鉄筋か迷ったあげく、煉瓦への想いが勝ったとのことで、田平天主堂は鉄骨煉瓦造として作られました。年月を経て増す風合いは、煉瓦ならではのものがあります。意匠に優れているだけでなく、地元の信者が守り続けてきた歴史も重みがあります。風合いのある重厚な建造物である田平天主堂に訪ねてみてはいかがでしょうか。
ススを塗った「黒レンガ」にも注目
©田平教会
田平天主堂から眺める夕焼け
©田平教会
あじさいと田平天主堂
写真提供:田平教会
文:Nagatadome
日本国内外問わず、旅行や探訪記を書くライター。長崎の魅力をお伝えします。
掲載日:
2021/07/29
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長崎県平戸市田平町小手田免19