平戸は長崎県で最初にキリスト教が布教されたところです。国に信仰を認められた時代もありましたが、やがて豊臣秀吉によりキリスト教が禁令されると、信者の弾圧が始まりました。禁令は江戸時代も続きましたが、そうした厳しい時代でも多くの信者は「隠れキリシタン(潜伏キリシタン)」として信仰を守り抜きました。平戸のキリスト教信仰の跡は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産に登録されています。では平戸のキリスト教の歴史、特に隠れキリシタンがどのように自分たちの信仰を守っていったのかを見ていきましょう。
平戸に初めてキリスト教が伝わったのは戦国時代の1550年。スペインイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に鹿児島に上陸し、そこで布教を始めましたが、その後平戸に移り布教を続けました。ここでは多くの日本人がキリスト教に改宗したと言われています。ザビエルはこの後も2度平戸を訪れて布教に努めました。「平戸ザビエル記念教会」は元々は1913年に愛の保育園の所に建てられましたが、1931年に現在の住所に移設されました。またザビエルの来日400年を記念して1949年崎方公園に作られたのがフランシスコ・ザビエル記念碑です。
©長崎県観光連盟
平戸を代表する教会・平戸ザビエル記念教会
©長崎県観光連盟
尖鋭な屋根と十字架が印象的
©長崎県観光連盟
フランシスコ・ザビエル記念碑
ザビエル宣教師の布教によって広まったキリスト教は、平戸の藩主松浦隆信によって保護されました。松浦氏はキリスト教の信仰は海外との交易のためにも有利であると考えたのです。平戸で最初に布教が始まったのは生月島(いきつきしま)で、この島ではたくさんの人がキリスト教に改宗しました。ところが豊臣秀吉が天下を取ると、1587年「バテレン(ポルトガル語で宣教師の意味)追放令」を発し、宣教師を海外に追放してしまいました。この時からキリスト教の信仰が禁じられ、信者への弾圧が始まったのです。そうした厳しい時代が始まった中、1609年には生月で信仰を守り続けた「福者ガスパル西玄可」が処刑されてしまいました。その場所には、現在一般に、「ガスパル様」と呼ばれる「黒瀬の辻殉教碑」が建てられています。また、1622年には、一度マカオに追放されながらも1621年に日本に再入国したイタリア人宣教師カミロ・コンスタンツォ神父が火刑に処せられてしまいました。その悲しい出来事を忘れないよう作られたのが「焼罪史跡公園」です。
島民のほとんどがキリスト教に改宗したと言われる生月島
©平戸市文化観光商工部
生月島にある「ガスパル様」
©長崎県観光連盟
焼罪史跡公園
禁令によってキリスト教の信仰が禁じられたのですが、平戸の信者は自分たちの信仰を捨てることはありませんでした。そうしたキリスト教信者は自分たちの信仰を隠しながらもそれを継続させました。こうした人達は「隠れキリシタン」と呼ばれています。信仰を継続させるにはもちろん、心の中だけで拝むこともできますが、キリスト教では拝む対象となるものが必要です。かといってキリストの像を立てたりすればすぐにつかまってしまいます。そのため、例えば、平戸島の北西、生月大橋近くにある春日集落では、そこから見える「中江ノ島」を信仰の対象にしました。この島は小さな無人島ですが、キリシタンの処刑に使われた所だったからです。その他、春日集落の近くにある「安満岳(やすまんだけ)」を信仰の対象とした人々もいました。
©長崎県観光連盟
隠れキリシタンが住んでいた春日集落の段々畑の風景
©長崎県観光連盟
キリシタンの処刑が行われた無人島の中江ノ島は信仰の対象にもなった
©長崎県観光連盟
隠れキリシタンがひそかに信仰の対象にしていた安満岳
江戸時代を通して続いたキリスト教の禁令でしたが、幕末のころから海外との交易が活発化し、それに伴いキリスト教の宣教師もまた日本を訪れるようになりました。そうこうしているうちに明治維新を迎えたわけですが、明治政府のキリスト教への風当たりはまだまだ厳しいものがありました。ところがこうした政府の厳しい態度に対し、海外諸国から激しい非難の声があがるようになったため、1873年、明治政府はキリスト教を認めることになったのです。この解禁によって各地で教会が作られるようになりました。現在ある平戸市の教会には、最初1885年建設され、1929年に現在の姿に建て替えられた紐差(ひもさし)教会、1912年創立の山田教会、そして1952年創立の中野教会などがあります。
©長崎県観光連盟
紐差教会
©長崎県観光連盟
山野教会
©長崎県観光連盟
中野教会
平戸島の西側の根獅子(ねしこ)海水浴場のすぐ近くにある平戸切支丹資料館。この施設は1982年に開設され、館内には平戸のキリスト教の歴史や隠れキリシタンに関する資料が展示されています。資料館開設にあたって根獅子の浜近くの土地を選んだのは、昔この浜でたくさんの殉教者が出たことと、この近くには「おろくにん様」と呼ばれる殉教者を祀る聖地があることがその理由になっています。
美しい海に囲まれた平戸島や生月島にキリスト教徒弾圧という悲しい歴史があったことは一見信じがたいことですね。けれども、そうした弾圧にも負けず自分たちの信仰を守り抜いた人々がいることには大変驚かされます。同時にたくさんの人が処刑されたことは悲しいことだと思います。ここでご紹介した平戸市に残る記念碑や教会を訪ねて、そうした悲しい時代がもう来ないよう祈りましょう。
※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。
写真提供:長崎県観光連盟・平戸市文化観光商工部
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
©平戸市文化観光商工部
平戸切支丹資料館
©長崎県観光連盟
平戸切支丹資料館の展示風景
平戸・生月エリアのまとめのページ
https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/type_area/junrei_area_%E5%B9%B3%E6%88%B8%E3%83%BB%E7%94%9F%E6%9C%88%E5%B3%B6/d.html
平戸観光協会のページ
https://www.city.hirado.nagasaki.jp/kanko/index.html
掲載日:
2019/04/25
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。
【平戸ザビエル記念教会】〒859-5152 長崎県平戸市鏡川町259-1
【フランシスコ・ザビエル記念碑】〒859-5102 平戸市大久保町2529
【黒瀬の辻殉教地(ガスパル様)】〒859-5704 平戸市生月町山田免
【焼罪史跡公園】〒859-4826 平戸市田平町野田免
【春日集落と安満岳】〒859-5373 平戸市春日町
【中江ノ島】〒859-5144 平戸市下中野町 ※上陸は出来ません。生月大橋等から全景を見られます
【紐差教会】〒859-5361 平戸市紐差町1039
【山野教会】〒859-5142 平戸市主師山野
【中野教会】〒859-5141 平戸市山中町971横
【平戸切支丹資料館】〒859-5376 平戸市大石脇町1502-1