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冒険 282

長崎から世界の平和を祈る…。博士が残した原爆の恐ろしさを永井隆記念館で学ぼう

長崎に住んでいる人なら一度は「永井隆」の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?
現在の長崎大学医学部で放射線物理療法を研究した永井博士。
白血病に侵されながらも原爆の惨状を書いた『長崎の鐘』など多数の著書を残しました。
今回は博士の生涯を学びながら、記念館と如己堂を巡りたいと思います。

  • 長崎市永井隆記念館提供
    永井 隆 博士

  • 直筆書「平和を」が書かれた半紙は世界中の人々に贈られた。

  • 永井博士の著書『いとし子よ』や『この子を残して』の初版本

【永井 隆 博士について】
博士は長崎市出身ではなく、実は島根県出身。
雲南市三刀屋町にも記念館があり、長崎の永井隆記念館と姉妹館です。
(※雲南市の記念館は施設整備のため休館中。2021年4月中旬にオープン予定。)
旧制長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)に入学し、放射線物理療法の研究に取り組んでいましたが、研究していた放射線の影響で白血病を発症します。1945年8月9日午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下。
大学の物理的療法科部長室で被爆しました。
原爆で妻を失った悲しみの中、博士自身も重傷を負いながら医師として救護活動に尽力しました。
誠一(まこと)と茅乃(かやの)の2人の子どもを育てながら生活していた博士でしたが、病状が悪化し、寝たきりの生活を送るようになります。
敬虔なカトリック信者でもあった博士は、浦上のカトリック信者たちの厚意により建てられた「如己堂(にょこどう)」という二畳ひと間の小さな家で暮らすようになり、『長崎の鐘』『この子を残して』など数多くの著書を書き残しました。
博士の著書は世界中で翻訳され、ヘレン・ケラーやローマ教皇特使など多くの著名人が博士のお見舞いに如己堂を訪れています。
受け取った本の印税を長崎市に寄付、桜の苗木を購入して学校や道路などに植樹する活動などが称えられ、1949年に長崎市名誉市民第一号を授与されました。
しかし、1951年5月1日に43歳で死去。その後、浦上カトリック教会で長崎市公葬が行われ、約2万人の市民が参列したそうです。

  • 長崎市永井隆記念館提供
    永井親子

  • 永井博士は絵が上手かった!

  • 詩の“しおり”がもらえます。

【記念館について】
永井隆記念館は1952年12月に「長崎市立永井図書館」として完成します。
その後、1969年には「長崎市立永井記念館」と改称、2000年4月に「長崎市永井隆記念館」として1階は資料館、2階は図書室となりました。
資料館の入口では博士の胸像が出迎えてくれます。
中に入ると博士が書いた著書の原稿や名誉市民の賞状などが展示されており、子どもの目線からも見やすいような高さのケースに展示されていました。
中でも、博士は絵が上手だということが特に印象に残りました。
展示品の中には書画が多く残されており、その中でも10代の頃に書いた書画のコーナーでは、海に潜る人やタンポポなど温かみのある絵が展示されています。
また、映像ソフト鑑賞コーナーでは永井博士の生涯を5分ほどにまとめた映像を視ることができます。
視聴の際は受付の方にお声がけください。

  • 現在の永井隆記念館

  • 館内には貴重な資料が沢山

  • 永井博士の生涯を映像で学ぶ鑑賞コーナーもあります。
    ※視聴の際は受付までお声がけください。

【図書室(うちらの本棚)について】
永井博士は戦後の子ども達のために、寄付金と私財を投じて図書館「うちらの本棚」を作りました。
博士は図書館の利用の際に、子ども達に図書館でやってはいけない「おきて」を定めました。
例えば、「ウマのようにあばれる子」など立ち振る舞いを動物に例えて表現し、子どもたちに礼儀作法を身につけさせたいと思っていたようです。
筆者は小さい頃にこちらの図書館へ通っていた時、このインパクトのある掟が印象に残っていました。

現在は記念館の2階が図書室になっていて、幼児向けの絵本や児童書を中心に約9500冊の本が所蔵されており、もちろん永井博士の本も読むことが出来ます。
室内は広いテーブルもあり、窓側から如己堂を眺めながら勉強する学生や絵本を読みに来る子ども達で賑わっています。
キッズルームでの絵本の読み聞かせ講座、本の貸出も行っています。
※2020年7月現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、滞在時間の短縮や講座の中止などの対策を取っています。

  • 長崎市永井隆記念館提供
    うちらの本棚

  • 図書館でやってはいけないことを動物に例えた掟

  • 現在の図書室

【如己堂】
記念館の外には永井博士と子ども達が住んでいた如己堂が残っています。
戦後、浦上カトリック信者などが博士のために建てたこの建物を、博士は“己の如く隣人を愛せよ”という意味から「如己堂(にょこどう)」と名付けました。
ガラス戸越しに見学してみると、大人1人が寝ることができる2畳一間の広さで、大人1人と子ども2人が暮らすには少し手狭な印象を受けました。
中には博士が使用した本棚、デスマスクも展示されています。

現在、長崎市民や長崎市内へ通学する学生は2020年9月30日まで、記念館の観覧料が無料になっています。
永井博士が長崎の土地でどのように暮らしてきたか、改めて勉強することが出来ました。
長崎に原爆が落とされた8月9日が近づく前に一度、訪れてみてはいかがでしょうか??

  • 長崎市永井隆記念館提供
    当時の如己堂

  • 現在の如己堂

  • ガラス越しに見た室内

文・写真 non0328 長崎が好きな元長崎市民。色んな場所に出かけたいです!

掲載日: 2020/07/10
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。

インフォメーション

スポット名
長崎市永井隆記念館
TEL
095-844-3496
住所
〒852-8113 長崎県長崎市上野町22-6

〒852-8113 長崎県長崎市上野町22-6

※お出かけの際には事前に位置をお調べすることをお勧めいたします。
駐車場情報
福祉車両1台分の駐車スペースのみ。一般車両は近隣のコインパーキングをご利用ください。
営業時間
9:00~17:00

※2020年7月現在、新型コロナウイルス感染症対策のため、マスク着用で見学は30分間までとなっていますのでご注意ください。
定休日
12月29日~1月3日
対象年齢
全年齢
料金
一般(15歳以上)100円
小中高校生 無料(二階図書室は無料)

※団体割引あり。
※各種手帳などの割引についてはお問合せください。
アクセス
JR長崎駅から車で約10分
大橋電停から徒歩で約6分
公式サイト
https://nagaitakashi.nagasakipeace.jp/japanese/
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