長崎県の中央部に位置する諫早市は、有明海、大村湾、橘湾の3つの海に囲まれた市です。町の中には長崎街道と島原街道の分岐点があり、昔から交通の要として大きな役割を果たしてきました。このような歴史を持つ諫早の特徴のある神社や寺院を4つご紹介します。
本明川の近くにある慶巌寺(けいがんじ)は江戸時代に建立された寺院です。川の向こう側には諫早公園の森が見えます。慶巌寺には、「十六羅漢像」と「磨崖三十三観音」という珍しい仏像が安置されているので見学してみましょう。
十六羅漢像は敷地内のお堂の中に作られた16体の羅漢と呼ばれる仏像のことです。お堂の前に「十六羅漢像」と刻まれた石碑が立っているので分かります。
一方、磨崖三十三観音は、境内の南端にある崖の岩肌に彫刻された高さ40センチ、幅25〜30センチ位の33体の観音像のことです。観音菩薩が33体に変化して人々を救うという思想に基づいて作られたと考えられています。
©長崎県観光連盟
慶巌寺の山門
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十六羅漢像
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磨崖仏三十三観音
天祐寺(てんゆうじ)は諫早地域を治めていた諫早家の菩提寺です。境内には諫早家代々のお墓がありますが、それとならんでひっそりと建っているのが島原の乱で亡くなった人々の戦没者追悼碑です。この碑は島原の乱が終わってから32回忌を記念して作られました。
この追悼碑の反対側には大きな岩があり、その上には地蔵尊が作られています。子どもの背の高さくらいの小さな地蔵です。昔は天祐寺を訪れた子どもたちが、この岩の上に登って地蔵と自分の背を比べたので「背比べ地蔵」の名前が付いています。ただし岩が結構高く、上ると危ないので最近では「背比べ」をする子ども達も少なくなったようです。
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天祐寺の山門
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島原の乱の戦没者追悼碑
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大きな岩の上に作られた「背比べ地蔵」
安勝寺は最初に紹介した慶巌寺から約400メートル東に行った所にあります。諫早市内にあるお寺の中でも特に有名なお寺で、昔は大名やシーボルトなどが宿泊した歴史が残っています。境内にあるりっぱな鐘楼は時を告げる「時鐘」といわれるもので、諫早で初めて時を告げてから1944年までの約220年間、毎日欠かさず鐘を鳴らし続けました。安勝寺はまた、紅葉の名所としても知られており、葉が色づく季節になるとたくさんの人で賑わいます。
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諫早の名刹「安勝寺」
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約220年間、時を告げ続けた鐘楼
最後に紹介するのは諫早市の南部、飯盛町にある「熊野神社」です。この神社には市の有形文化財に指定された天井絵と絵馬があります。天井絵は179枚の絵から成っています。描かれているのは花、動物、人物、山水など。絵馬は2枚あって、1枚は「秀吉耐忍之図」、もう1枚は「西郷卜月照之図」です。秀吉耐忍之図では、豊臣秀吉がまだ羽柴秀吉だった頃に、野心を抱きながらそれを隠して耐えている様子が描かれています。一方、西郷卜月照之図は、京都での弾圧を逃れ薩摩に向かうために大阪から船に乗った西郷隆盛と僧侶「月照」の船上での様子を描いたものです。これら2枚の絵馬はどちらも1906年、熊野神社改築時に奉納されたものだと考えられています。
なお、天井画と絵馬を見学するには教育委員会への連絡が必要です。
諫早市にある神社仏閣の中から、十六羅漢像と磨崖三十三観音のある慶巌寺、背比べ地蔵がユニークな天祐寺、歴史ある鐘楼が特徴的な安勝寺、そして有形文化財の天井絵と絵馬が残る熊野神社の4つを紹介しました。ぜひ出かけて、諫早の歴史と文化に触れてみてください。
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諫早市南部にある熊野神社
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諫早市の有形文化財に指定されている天井画と絵馬
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天井画には花、動物、人物、山水が描かれています。
写真提供:長崎県観光連盟
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
掲載日:
2021/03/30
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。
【慶巌寺】〒854-0005 長崎県諫早市城見町15-19
【天祐寺】〒854-0015 長崎県諫早市西小路町1116
【安勝寺】〒854-0004 長崎県諫早市金谷町9-1
【熊野神社】〒854-1122 長崎県諫早市飯盛町佐田881