昔から中国文化の影響を色濃く受けて来た長崎には、唐寺など珍しいお寺がいくつかあります。特に崇福寺、興福寺、福済寺は「長崎三福寺」と呼ばれる唐寺ですが、最近ではこれに聖福寺を加えて「長崎四福寺」とも呼ばれています。長崎に伝来したものの中にはこうしたお寺を通して広まったものもあります。そんな長崎ならではの寺院を巡ってパワーをもらいましょう!
崇福寺(そうふくじ)は1629年に建てられた長崎市鍛冶屋町にある唐寺です。唐寺とは日本在住の中国人(華僑)が自分たちの出身地別に建てた寺院のことで、「媽祖」と呼ばれる海の安全を守る神様が祀られているのが特徴です。崇福寺は福建省出身の華僑が建てたものです。「竜宮門」と呼ばれる竜宮城を思わせるような赤い門「三門」がシンボルになっています。また、この寺には長崎にある3つの国宝の内の2つがあります。「第一峰門」と「大雄宝殿」です。(長崎のもう一つの国宝は大浦天主堂。)
崇福寺には、その他、国指定重要文化財が5つ、県指定有形文化財が4つ、市指定有形文化財が10と貴重な文化財がたくさん残っています。
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「竜宮門」と呼ばれる崇福寺の三門
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国宝に指定されている「第一峰門」
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大雄宝殿も国宝に指定されています。
興福寺(こうふくじ)は1620年に建立された、長崎市寺町にある寺院です。寺町とは江戸時代にキリスト教弾圧の影響もあり、風頭山の麓に多くの寺や神社が集められてできたエリア。興福寺はこの寺町のなかでもよく知られたお寺の一つです。最初は小庵として始まりました。当時江戸幕府がキリスト教を弾圧していたので、自分たちはキリスト教徒ではなく仏教徒だということを示す意味でもたくさんの唐寺が建てられたと言われています。
興福寺の大雄宝殿は火災や暴風のために何度か再建されました。現在の建物は1883年に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。建築は中国出身の工匠によるもので、柱や梁などに施された装飾には中国的な要素が色濃く見られます。
境内には文化財がいくつかありますが、その中でも県の有形文化財に指定されているのが中島聖堂遺構大学門と鐘鼓楼です。中島聖堂遺構大学門は、中島川の近くにあるのでこの名前が付けられました。中島聖堂は東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂と並んで「日本三聖堂」に数えられています。鐘鼓楼は唐寺にありながら和風の建築様式が施されています。
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国の重要文化財に指定されている「興福寺の大雄宝殿」
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「日本三聖堂」に数えられる「中島聖堂遺構大学門」
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和風の建築様式が施された鐘鼓楼
福済寺(ふくさいじ)は長崎市筑後町にある唐寺です。最初に建てられた時の建物はかなり大きなもので、特別保護建築物(国宝と同レベル)に指定されていました。ところが原爆で焼失してしまったため、後に再建しました。境内には被爆者と戦没者の冥福を祈って、1979年に「万国霊廟長崎観音」が建てられました。この観音様は、一般的に「長崎観音」とも呼ばれています。地上からの高さが34メートルもありますが、それは、亀の形をした霊廟の上に作られたものだからです。観音様自体の高さは18メートルです。内部には長さが25メートルもある地球の自転を示す「フーコーの振り子」が取り付けられています。
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再建された福済寺
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瓶の形をした廟の上に建てられた長崎観音。地上からの高さは34メートルもあります。
聖福寺(しょうふくじ)は1677年に僧侶であった鉄心道胖によって建立されたお寺です。この時、中国語の通訳をしていた母方の西村家から多大な寄付がされました。また中国出身で日本に渡って黄檗宗を開いた「隠元(いんげん)」とも関係があることなどから、「唐寺」の一つとしてみなされています。
隠元は中国から「いんげん豆」を持ってきた人物としても知られています。
彼が書いたとされる文字が扁額(飾り用の額)に仕立てられ、聖福寺に残っています。額の装飾に中国的な雰囲気が感じられますね。また、聖福寺の山門、大雄宝殿、石門など多くの建造物は文化財に指定されています。その他、瓦の廃材を利用して作った「瓦塀」などユニークな建造物も見られます。
聖福寺はまた、坂本龍馬率いる海援隊が「いろは丸事件」が起きた時に開かれた談判の場所としても知られています。いろは丸は海援隊の船で、当時武器などを積んで瀬戸内海を航海していました。紀州藩の「明光丸」と衝突し、沈没した事態を収拾するために聖福寺で談判を開き紀州藩から賠償金を勝ち取ったという事件です。
このようにエピソードの多い聖福寺ですが、現在国の重要文化財に指定されている4棟の建物の老朽化が激しいため、これらを修復しようという計画があり、募金活動を活発に進めています。
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剣の文化財に指定されている聖福寺の山門
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隠元が書いたといわれる聖福禅寺の扁額
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瓦の廃材を積み重ねて作った「鬼塀」
長崎三福寺や四福寺には入っていないのですが、長崎のもう一つのシンボル的な寺院に「清水寺」があります。清水寺といえば、京都の清水寺が最も有名ですね。この有名な寺院の僧侶「慶順」が、1623年に建立したのが長崎の清水寺です。寺院の建物は日本的な様式と中国的な様式が入り混じっているいます。長崎ならではの特徴だと言うことができます。1887年に大規模な修理が行われ復元され、国の重要文化財に指定されました。本堂には「びんづる様」という安産や病気の治癒にご利益があると言われている神様が祀られています。このびんづる様の右手は外れるようになっていて、安産を祈願するときには、その外した右手で自分のお腹を撫で、病気の治癒を祈願するときには、その外した右手で病気をしている自分の体の部分を撫でると治ると言われています。
昔から中国文化が流入し大きな影響を受けて来た長崎には、唐寺と呼ばれる寺院がいくつかあります。そのうちの代表的な寺院は長崎三福寺や四福寺と呼ばれています。こうした唐寺を参拝して、日本の一般的な寺院とは異なるユニークな側面を見ながら、いろいろな祈願してパワーをもらいましょう!
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清水寺の大師堂
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聖天堂
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石門とも呼ばれる中門
写真提供:長崎県観光連盟
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
掲載日:
2020/01/30
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。
【崇福寺】〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町7-5
【興福寺】〒850-0872 長崎県長崎市寺町64番地
【福済寺】〒850-0052 長崎県長崎市筑後町2番56号
【聖福寺】〒850-0053 長崎県長崎市玉園町3番77号
【清水寺】〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町8-43