原爆で亡くなった人を追悼する静かな空間に、10月と2月だけ、美しい虹が現れます。
ここは、長崎市平野町にある国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館です。原爆で亡くなった方を追悼し、もう二度と、原爆による被害が起きないようにと平和を祈るのとあわせて、原爆被害についての本や資料を集めている施設です。
長崎原爆資料館の隣に建てられていて、入り口の丸い大きな「水盤」が印象的です。「水」は原爆について語るとき、とても大切にされているものの一つです。というのも、1945年(昭和20) 8月9日に原爆が投下され、多くの人がやけどなどのケガをしました。喉が渇いて、「水、水・・・」と求めても、水道が壊れてしまっていたり、「水を飲ませると死んでしまう」と今から考えると誤った情報が伝わったりしたため、水を飲みたかったのに飲ませてあげられなかった、ということがあったそうです。それで、ここ追悼祈念館でも水盤にいつでも水をたくさんためて、原爆の犠牲者に捧げているのです。
そして、この水の中をよく見てみると小さな「点」が見えます。全部でおよそ7万個。長崎の原爆で亡くなった人の数で、夜になるとこの小さな点の1つ1つがほのかに光ります。
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
追悼祈念館は、長崎原爆資料館(左上)や長崎市平和会館(レンガ色の建物)に隣接しています
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
夜になると「水盤」に原爆犠牲者数と同じおよそ7万もの小さな光が灯ります
追悼祈念館は、いくつかの部屋がありますが、みなさんに最も訪れてほしいのは、地下2階にある「追悼空間」と呼ばれているところです。ここは天井までの柱が何本もたっていて、とても静かな空間です。柱の奥には高い棚があり、原爆で亡くなった一人一人の名前や年齢などを書いた「原爆死没者名簿」が収められています。この名簿は2021年8月9日時点で193冊になり、このうちの1冊だけは「名前もわからなかった」人のため何も書かれていない名簿となっています。
この追悼空間の柱と柱の間に立った先が、上空で原爆がさく裂した「原爆落下中心地」(爆心地)となります。
虹が現れるのは、この追悼空間の床。10月と2月の晴れた日にだけ見えるのです。
外壁にあたった太陽の光は、天窓から追悼空間のガラスの柱にあたります。柱がちょうどプリズムとなって太陽光を屈折させ、赤や黄色など七色に分散させているようです。雨や曇りの日には見ることができず、現れる時間、その位置も刻々と変わっていきます。
これは、地球の「地軸」が傾いて、太陽の周りを回る=「公転」している、ことと関係しています。地球が回ることで、太陽の方を向いて照らされている地域は「昼」、向いていないときは「夜」となりますよね。さらに、地球は自転しながら、太陽の周りをぐるりと1年をかけて回っていきます。6月の夏至の頃が一番、昼の時間が長くなり、12月の冬至の頃が昼の時間が最も短くなります。その間、6月から12月にかけては、どんどん昼の時間が短くなっていき、12月から今度は昼の時間が延びていきます。また、季節によって太陽の高さ(太陽高度)も変わるため、太陽光が追悼祈念館の外壁からガラスの柱、そして床へとうまく当たるのは1年でも限られた時期だけ、それが10月と2月、ということのようです。
奇跡的で、幻想的な七色の虹。訪れた人も小さな声で「わぁ」と思わず見入ってしまう美しさ。静かな空間が穏やかで、温かな雰囲気に包まれる、そんな時間です。
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
©桑原彰氏
今年(2021年)10月撮影。午後2時ごろに現れ、あまりの美しさに何枚も写真を撮ったのだとか
©桑原彰氏
時間経過に応じては柱の左側から中央に向けて「虹」が移動していったそう
追悼祈念館には「追悼空間」のほか、原爆で亡くなった人たちの「遺影」を見たり、被爆者の「手記」や原爆や平和に関する本や資料を読んだりする部屋もあります。手記は、被爆者の自筆で書かれたもので、原爆の怖さや平和の尊さが伝わってきます。明るい平和への希望を感じさせる「虹」を見るのをきっかけに、追悼祈念館を訪れ、原爆や平和に関する本をぜひ、手に取ってみてください。
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
およそ12,000人分(黒本除く)の被爆証言集などが並ぶ
©国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
被爆者の自筆の手記。生々しい体験が伝わってくる
写真提供:国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、桑原 彰 氏
文:冒険する長崎プロジェクト事務局
掲載日:
2021/10/21
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〒852-8117 長崎市平野町7-8