平戸島の北東部にある鄭成功記念館は、17世紀に活躍した東アジアの英雄「鄭成功(ていせいこう)」の生家を再現し、この英雄の偉業を後世に伝えるために2013年に開館した記念館です。2016年には記念館に続く参道の入口に山門が建てられました。
中国人の父と日本人の母の間に生まれた鄭成功とはどんな人で、どんな偉業を成し遂げたのでしょうか。鄭成功記念館を訪ね、この英雄の足跡を追ってみましょう!
鄭成功は1624年、平戸島で生まれました。父「鄭芝龍(ていしりゅう)」は中国人の海商で、平戸に住むようになってから、日本人の田川マツと結婚し、鄭成功(幼少名、福松)と弟の七左衛門が生まれました。鄭成功が生まれるとき、マツは千里ヶ浜の海岸で貝拾いをしていたのですが、急に産気づき海岸にあった大きな石にもたれて鄭成功を生んだと言われています。その石は今でも残っており、「千里ヶ浜の児誕石」と呼ばれています。
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17世紀に活躍した東アジアの英雄鄭成功
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鄭成功は中国人海商の父鄭芝龍と日本人の母マツの間に生まれました。
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鄭成功が生まれた場所と言われている千里ヶ浜に残る「児誕石」
こうして平戸で誕生した鄭成功でしたが、父の鄭芝龍は後に中国に戻り、その活発な手腕が認められ明朝の大将軍に任命されます。母のマツも1945年に中国に渡りますが、鄭成功はそれよりもずっと前の1630年、7歳の時に一人で父の故郷である福建省に渡り、そこで教育を受けます。当時、中国は明と清が争っていたため、鄭成功は明を復興することを目的としてこの抗争に参加し、台湾に渡ります。
ところがこの頃台湾はオランダの支配下に置かれていました。鄭成功はオランダ人の築城した「プロヴィンティア」という城を占領し、オランダ人を駆逐し、台湾を中国人の手に取り戻します。そして城の名前を「東都承天府」と改め、中国人の政府を開き開拓を行いました。台湾では鄭成功のこのような活躍が高く評価され、英雄として敬われています。現在この城は「赤崁樓(せきかんろう)」と呼ばれ、鄭成功の偉業を伝える資料を展示しています。鄭成功は1662年、病気のために39歳という若さで亡くなりました。
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鄭成功は7歳の時に一人で中国に渡り、その後台湾に行ってオランダ人を駆逐しました。
出典:ウィキペディア
台南市にある赤崁樓には鄭成功の偉業を伝える資料が展示されています。
鄭成功記念館は創立が2013年という比較的新しい施設です。鄭成功が7歳まで暮らした生家を再現して記念館としてオープンしたものです。記念館の敷地の入口には高さ8.8メートルの中国的デザインをほどこした山門が立っています。
実はこの山門、記念館創立時にはなかったのですが、2016年に建てられました。山門の除幕式には鄭成功ゆかりの地である台湾の台南市から約400人が訪れ、台南市長が「友好促進の機としたい」とあいさつしました。
山門をくぐり参道を歩いて行くと、鄭成功と母親マツの母子像が見えます。この母子像は、鄭成功の幼年期に大きな影響を与えた母マツの功績を讃えて、地元の人々が寄付を募って建てたものです。そして母子像の向こうに見えるのが展示ゾーンになっている鄭成功記念館の建物です。
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2016年に建てられた鄭成功記念館の山門
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山門をくぐり参道を歩いて行くと鄭成功母子像が見えてきます。
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記念館の建物は鄭成功の生家を再現したものです。
鄭成功記念館は、前述の通り鄭成功の生家を再現したものです。中には、和室や使用人室などがあり、当時の様子が作り出されています。和室では幼年の鄭成功が家族と暮らした様子を見ることができます。また、使用人室だったところには、軍人としての鄭成功の側面を示す軍人の人形や関連の資料が展示されています。
建物の中には「媽祖(まそ)像室」もあります。媽祖は中国南部の沿岸地域で信仰されている女性の神のことです。航海の安全や安産の神として敬われています。鄭成功記念館の媽祖像室には、平戸市の有形文化財に指定されている媽祖像の他、台湾から寄贈された媽祖像も展示されています。
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記念館の和室では鄭成功の幼少の頃の様子が再現されています。
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使用人の部屋だったところでは、軍人としての鄭成功の側面がわかるようになっています。
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航海と安産の神である媽祖が展示されています。
鄭成功記念館の敷地内には、山門と記念館の建物の間に一つの建物があります。この建物は休憩と展示の目的を兼ねて作られたもので、鄭成功の生涯年表や関連のイベントの情報などが掲示されています。
また、記念館の隣には「金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)」があり、その神社との間に一本の大きなナギの木が立っています。これは、鄭成功が幼少の頃に植えたものだと言われています。ナギの木の「ナギ」には「海がなぐ」とか「なぎたおす」という意味があり、昔から航海の安全や平和を願って、神社のご神木として植えられてきました。中国に渡った鄭成功がそのときの航海の無事を祈って植えたのかもしれませんね。
17世紀に、日本、中国、台湾をまたにかけて活躍した英雄「鄭成功」。平戸島北東部の川内町で生まれた鄭成功の生き方にはどこか壮大なものがありますね。また、現代になってからは、山門の建設などをきっかけに台湾との間に友好的な結びつきが生まれています。300年以上の年月を経て、鄭成功の魂が平戸と台湾の間を行き来しているのかもしれません。鄭成功記念館、ぜひ足を運んで、一人の英雄の生き方に触れてみてください。
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休憩と展示の目的を兼ねて作られた建物
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記念館の隣にある神社との間には鄭成功が植えたといわれるナギの木が立っています。
写真提供:平戸市、平戸観光協会、長崎県観光連盟ほか
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
掲載日:
2020/09/18
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