長崎市ではお盆の時期になると光源寺に保存されている「産女(うぶめ)の幽霊」像の御開帳がニュースで取り上げられます。
「飴屋の幽霊」とも呼ばれているこの話は、身ごもった女性が亡くなり墓の中で子どもが産まれましたが、母乳が出ないため、母親は幽霊となって飴を買いに現れる、というものです。
全国各地に「飴屋の幽霊」の話は語り継がれており、長崎では光源寺で毎年8月16日に幽霊像を誰でも見ることができます。
光源寺とはどんなお寺なのでしょうか?さっそく行ってみました。
掲示板には書道サークル「群生会」や「ひかり子ども会」などのメンバーが考えた言葉が飾られています。
山門
本堂へ向かいます。
【光源寺について】
光源寺は長崎市伊良林にある浄土真宗本願寺派のお寺です。
1631年に福岡県瀬高町から長崎に寄住した松吟(しょうぎん)が布教を開始し、長崎奉行から寺地を銀屋町に与えられ、光源寺を開きました。
しかし、1676年に起きた火災により焼失したため、現在の場所である伊良林に移転しました。
江戸時代にまとめられた「長崎名勝図絵」には光源寺が描かれており、約400年の歴史があります。
長崎で最初の唐通事の役職についた馮六(ひょうろく)の墓もあります。
本堂へ到着。
本堂の中は豪華絢爛。
美しい蓮の花のふすまは江戸時代に描かれたそう。
【産女の幽霊】
さて、「産女(うぶめ)の幽霊」ですが、光源寺に伝わるのはこのような物語です。
ある日、麴屋町の飴屋へ夜中に女性が飴を買いに現れました。
その女性は6日間毎日一文銭を持って飴を1つ買っていきましたが、7日目にはお金がないため飴を恵んでほしいと飴屋に頼んできました。飴屋は女性に飴を1つ与えましたが、不思議に思って女性の後をつけた所、光源寺本堂裏のお墓の前で消えたそうです。
翌朝、光源寺の住職に立ち会ってもらい、お墓を掘り返すと女性のそばに元気な赤ちゃんがいました。
女性はお墓に入れてもらった六文銭を使い、赤ちゃんに飴を与えていたのです。
保護された赤ちゃんは無事に父親の元に引き取られました。
数日後、飴屋に再び女性が現れました。
女性が赤ちゃんを助けてもらったお礼がしたいと言うと、飴屋は町内には井戸がなく困っていると話しました。
すると女性は『翌朝、櫛が落ちている場所を掘ってみてほしい』と言い残して姿を消しました。
その場所を掘ってみると水が湧き出したため、町民は喜んで井戸を作りました。現在でも麴屋町には井戸のモデルとなった場所が残されています。
「産女の幽霊」の話は全国各地に残されていますが、さらに光源寺では幽霊像も保存されています。
納めてある箱によると1748年に作られたとされており、幽霊像は高さ約40センチほどあり、腰の部分から下は作られていません。以前は腕もあったそうなのですが長崎に原爆が投下されたときに壊れてしまったそうです。目にはガラスがはめ込まれており、光の当たり具合でギラっと光ります。御開帳される時には白い着物を着せ、下の方を細めに袋状にして仕立てています。
この幽霊像は毎年8月16日に御開帳され、誰でも見ることができます。2019年は約700人の人が訪れました。
御開帳の時には「産女の幽霊」の紙芝居も披露され、最初は幽霊像を怖がっていた子ども達もやさしい幽霊だと分かってくれるそうです。
※2020年の御開帳は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止になりました。
御開帳の様子
光源寺 提供
産女の幽霊像
光源寺 提供
光源寺の本堂の裏手には赤子塚があり、御開帳の時には参拝します。
【光源寺の活動】
また、光源寺では様々な活動が行われています。
《ひかり子ども会》
正式な活動が始まった年は不明ですが、1909年にひかり子ども会の前身である「光闡(こうせん)日曜学校」を開校しました。日曜学校の開設は桶屋町の光永寺と並んで長崎市内では最も早かったそうです。
これまで人数が集まらないなど存続の危機がありましたが、苦境を乗り越えて100年以上続いており、現在では毎回10名程度の子どもたちが集まっています。
毎週土曜日の午後7時から午後8時まで読経やゲームなどを通して子ども同士の交流を深めています。
《日曜礼拝》
大人の日曜学校と呼ばれる「日曜礼拝」は1973年から続いており、毎週日曜日の午前10時から午前11時まで開催されています。
礼拝の合図となる鐘が鳴らされ、お勤めが始まります。受付で配られた「おつとめのしおり」を見ながら静かに祈りを捧げます。
筆者が参加した日は住職様の法話の後、長崎学の第一人者である越中哲也先生が「お盆」をテーマに15分ほど話をして下さいました。
時折ユーモアを交えながら笑いをとったり、越中先生がゲストで招いていた土肥原弘久先生が出版された精霊流しの本の紹介をしたりなど、あっという間に時間が過ぎました。
日曜礼拝の様子
筆者が参加した日は月に1回の越中先生によるお話が聞けました。
越中先生のご実家はなんと光源寺!
「産女の幽霊」で有名な光源寺。
幽霊像の御開帳は年に一度しか見ることはできません。
しかし、子ども向けの「ひかり子ども会」、大人が勉強する「日曜礼拝」など多くの会活動をしており、門徒以外でも参加できます。
気軽に立ち寄れる光源寺にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
瓦にも光源寺の「光」が刻まれています。
伊良林の風景を眺めながら。
配布されたおつとめのしおり。寺報「光源寺新報」は1961年から続けており、100号を超えています。
文・写真 non0328
長崎が好きな元長崎市民。色んな場所に出かけたいです!
掲載日:
2020/08/06
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。
長崎県長崎市伊良林1-4-4