南島原市の南部にある「西望(せいぼう)公園」は彫刻家「北村西望」の功績を記念して1979年に作られた公園です。北村西望は長崎市の平和公園の平和祈念像の制作者。北村西望がどのような人生を送り、どのような作品を残してきたのか、この西望公園を訪ねてみましょう。
西望公園は南島原市のシンボルにもなっている原城跡から北に車で10分ほど行った所にあります。南有馬町の農村の一角に作られたこの公園は大変見晴らしの良いスポットで、遠くに有明海や天草灘、そして原城跡を見渡すことができます。公園は岩を積み上げて形成した庭園に緑の植物が良く手入れされています。そして公園の入口や園内のあちこちに北村西望の作品が全部で13点置かれています。その中には北村西望自身と両親そして妻の胸像があります。
©長崎県観光連盟
南島原市南有馬町にある西望公園。
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公園内には石を積み上げて作った庭園があり、そこにいくつかの作品が展示されています。
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手入れの行き届いた公園内には北村西望自身ならびに両親と妻の胸像が置かれています。
西望公園に建っている建物は「西望記念館」。これは北村西望の生家を改築し記念館としてオープンしたものです。館内は展示場として作り変えられていますが、建物の外観は良く保存され当時の面影を残しています。館内には北村西望の彫刻作品や書、絵画など約60点が展示されています。
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公園内に西望記念館があります。
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記念館は北村西望の生家の中を改造したものですが、外側には昔の面影が残っています。
では彫刻家・北村西望とはどんな人だったのでしょうか。
北村西望は1884年に生まれました。「西望」は作家名として「せいぼう」と読まれますが、本名は「にしも」と読みます。子どもの頃から図工が得意でした。制作したものには大胆なものが多かったのでその頃から周りの人を驚かせていました。
現在の京都市立芸術大学と東京芸術大学を優秀な成績で卒業し、他の彫刻家といっしょに彫刻の研究会「八手会」を結成しました。
代表作である長崎の平和公園の「長崎平和祈念像」の他にも国会議事堂の「板垣退助翁」などを制作し有名になりました。文化勲章も受けています。北村西望は1987年に104歳という長寿を全うして亡くなりました。まだ生きているときに、美術教育の振興を目的として「北村西望賞基金」が設立され、北村西望教育美術展を開催し優秀な作品を出品した小中学生を表彰しています。この展覧会は2018年ですでに40回を数えています。
©南島原市役所観光振興課
長崎平和祈念像などを制作した北村西望。
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北村西望は高齢になっても精力的に創作活動を続けました。
北村西望の代表作である長崎平和公園の「長崎平和祈念像」は、1945年に長崎に投下された原子爆弾による惨事を悼んで二度とそのような悲惨な出来事が起こらないようにという願いを込めて作られました。この青銅製の像は高さ9.7メートル重さ30トンという大きなもの。像の右手は天を指し原爆の脅威を意味し、左手は水平に伸ばし平和を意味しています。また、閉じられた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈るという思いが込められています。
西望公園にはこの平和祈念像のひな型となった、4分の1サイズの像が展示されています。
長崎市の平和祈念像
北村西望のその他の作品にはデビュー作である「光に撃たれる悪魔」や、「夢」「飛躍」などがあります。「夢」は西望が87歳の時に制作したもので、「飛躍」は94歳の時の作品と言うのですから驚きです。晩年になっても精力的に創作活動を続けていた姿が想像できますね。
南島原市が産んだ彫刻家・北村西望。明治から昭和にかけて、数々の作品を生み出し日本の彫刻界に大きな影響を与えました。その中でも代表作「平和祈念像」は平和を願う多くの人々の願いを表現した大作として世に知られています。ぜひ西望公園を訪ねて、北村西望の作品やその生き方に触れてみてください。
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西望公園内に置かれた作品、向かって右から「光に撃たれる悪魔」「飛躍」「夢」。
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館内の展示風景。
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平和祈念像の4分の1サイズひな形
写真提供:長崎県観光連盟、南島原市役所観光振興課 ほか
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
掲載日:
2020/01/10
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〒859-2413 長崎県南島原市南有馬町丙393-1