坂本龍馬は誰もが知っている幕末の英雄。変革の時代を志高く駆け抜けた龍馬の生き方は本当にさっそうとしていますね!龍馬の出身地は高知県ですが、長崎県でも2年ほど過ごしていました。短い間でしたが、結社を作り活発に行動。そんな龍馬がどこへ行くにも通っていたと言われる「龍馬通り」には龍馬の残した足跡がたくさんあります。では早速、歩いてみましょう!
長崎で活動を続けていた龍馬達がどこへ行くにも必ず通っていた道があります。寺町の禅林寺と深崇寺の間から始まって、風頭公園まで続く路地のことで、この道は今では「龍馬通り」と呼ばれています。龍馬通りを歩くには風頭公園から下ってくると楽なのですが、雰囲気を味わうにはやはり下から登っていく方が良いでしょう。この道には、日本初の商社と言われる「亀山社中」の跡を活用して作られた記念館、龍馬が参拝した「若宮稲荷神社」、そして海の向こうを見つめる龍馬の銅像が立っている「風頭公園」があります。
©長崎県観光連盟
寺町通りの深崇寺と禅林寺の間にある龍馬通りのスタート地点
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龍馬通りには階段が多いです!龍馬たちが頑張って登っていたのが想像できますね!
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龍馬通りを高みまで登り見下ろすとこんな風景が!
龍馬通りを歩き始めて5分ほど行くと「亀山社中跡」に着きます。亀山社中は1865年に、龍馬とその同士たちが結成した日本初の商社。建物の跡は修理・復元され2009年に「長崎市亀山社中記念館」としてオープンしました。名誉館長はタレントの武田鉄矢氏。
亀山とはこのエリアの名前で社中とは人が集まることを意味しています。亀山社中結成の目的は幕府討幕でしたが、同時に海運業などの活動も行っていました。後に「海援隊」と改名されます。
記念館には、書状の写しや亀山社中関係者の写真等が展示されています。また、隠し部屋だったと言われている中2階の部屋も階段の上の所から見ることができます。記念館の向い側には小さな広場があり、そこに龍馬が履いていたブーツの像が置かれています。足を入れて記念写真を撮るといいですね。
日本初の商社と言われる亀山社中の跡。今は「亀山社中記念館」になっています。
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亀山社中の中2階にあった隠し部屋はこの階段の上のところから見えます。
龍馬が愛用していたブーツの像。中に足を入れてみてください。
龍馬通りの次のスポットは「若宮稲荷神社」。亀山社中記念館からは徒歩約5分で着きます。長崎一の稲荷神社と言われるこの神社の参道には数え切れないほどの階段と鳥居が作られています。龍馬と同志たちは若宮稲荷神社を厚く崇拝していました。そのため「勤王神社」とも呼ばれています。
そして境内には、小さいですが、龍馬像が立っています。この像は風頭公園の像の原型になったものです。神社では「龍馬御守」も販売していますよ。
若宮稲荷神社の参道にはたくさんの階段と鳥居が続きます。
境内には坂本龍馬の像が建てられています。
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「龍馬御守」も手に入りますよ。
「風頭公園」は風頭山の山頂にある公園。公園からは、長崎港や市街地が一望できます。また毎年春にはハタ揚げ(凧揚げ)大会が開かれる所として知られています。その公園の中央付近に立っているのが坂本龍馬の像です。腕組みをして遠くを見つめる龍馬。きっと生きていた頃もここに来てこうして遠くを見つめて未来に思いをはせていたのでしょうね。この像は日本に数ある龍馬の像の中でも最も本人に似ていると言われています。龍馬像のすぐ近くには司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」の文学碑も建てられています。この碑には次のような一節が刻まれています。
「船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、『長崎はわしの希望じゃ』と睦奥陽之助にいった。『やがては日本回天の足場になる』ともいった。」
龍馬の長崎への強い思いが伝わってきますね!
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風頭公園からは長崎港や市街地が一望できます。
公園の中央に建てられた遠くを見る坂本龍馬像。
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司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節が刻まれた文学碑。
龍馬通りの探索は風頭公園で終わりですが、最後にもう一つ、長崎県で坂本龍馬とゆかりのあるスポット新上五島町の「坂本龍馬ゆかりの広場」を紹介します。この広場には、合掌する龍馬の像が建てられています。龍馬はいったいなぜ合掌しているのでしょう。
龍馬と同士たちには「ワイル・ウエフ号」という練習船がありました。当時この船には12人の同志が乗船して練習を行っていたのですが、潮合崎で大暴風雨にあって遭難し亡くなってしまったのです。龍馬はその同士への鎮魂の思いを込めて合掌したのです。そして龍馬は、この12人の霊を慰めるために、出資して新上五島町の墓地に碑を建ててもらいました。これが「坂本龍馬ゆかりの碑」です。この碑は広場から歩いて5分ほどの共同墓地の中に祀られています。
坂本龍馬はわずか31歳の若さで亡くなりましたが、その短い生涯にも普通の人が一生かけてもできないような功績を残しましたね。日本の各地を回って活動したのですが、龍馬にとって長崎は世界と直接つながる大切な拠点でした。未来に大きな希望を持って生きた幕末の一志士。龍馬の生き方から何かを学びたいですね。
写真提供:長崎県観光連盟
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
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新上五島町にある「坂本龍馬ゆかりの広場」
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海で遭難し亡くなった同志を思って合掌する坂本龍馬像
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亡くなった12人の同志の霊を慰めるために立てた「坂本龍馬ゆかりの碑」
掲載日:
2019/05/16
※掲載している情報は記事公開時点のものです。変更される場合がありますので、お出かけの際には事前に各施設へお問い合わせください。
【長崎市亀山社中記念館】〒850-0802 長崎県長崎市伊良林2丁目7-24
【若宮稲荷神社】〒850-0802 長崎県長崎市伊良林2丁目10-2
【風頭公園】〒850-0802 長崎県長崎市伊良林3丁目510-6
【坂本龍馬ゆかりの広場】〒857-4103 長崎県南松浦郡新上五島町江ノ浜郷
【坂本龍馬ゆかりの碑】〒857-4103 長崎県南松浦郡新上五島町江ノ浜郷417-3