長崎港のすぐ近くにある「出島和蘭商館跡」は、通称「出島」という名前で親しまれてきました。出島は今ではその周辺が埋め立てられたので陸繋がりになっていますが、1634年(江戸時代)に作られた時には扇形をした人工島でした。ではなぜ江戸幕府はそんな人工島を作ったのでしょうか。出島が作られた目的や果たした役割、そして現在の観光スポットとしての魅力などを見ていきましょう。
出島が作られた江戸時代、日本は鎖国状態でしたが、ポルトガルやオランダなどの商船がしきりに近寄り貿易の申し入れをしてきました。江戸幕府はこの貿易に利益があると考えたので、鎖国を維持した状態で貿易ができるように出島を作って、そこを通して貿易を行ったのです。出島は日本で唯一外国と接触できる所でした。明治維新になり開国すると、出島の役割もなくなり、周辺は埋め立てられ出島も島ではなく陸の一部になってしまいました。その後長い間忘れ去られていたのですが、1951年から復元作業が行われ昔の姿を取り戻しています。
File:KITLV – 36D536 – Dejima, Nagasaki – Colour lithography – Circa 1890.tif – Wikimedia Commons
1890年にオランダ人によって描かれた出島(作者不明)
©長崎県観光連盟
出島復元整備事業
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上空から見た2018年現在の出島
出島の入口は3か所ありますが、その中の1つ、メインゲートにつながる「出島表門橋」は2017年に復元されたばかりです。メインゲートには昔、門番が立っていて出島に出入りする人が関係者かどうか、また怪しい人ではないかどうか厳しくチェックしていました。2つ目の入口は「水門」と呼ばれ、出島海岸通に面した所にあり、3つ目の入り口は南端にあります。中に入ると広めの通りの両側に2階建ての日本風の家屋が並んでいるのが見えます。敷地内は結構広く、いろいろな建物が建っているので良く見学してみてください。
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出島表門橋
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出島の水門
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出島のメイン通り
次は出島の主要建造物をいくつか見ていきましょう。まず建物はそのほとんどが日本の家屋の特色であるこげ茶色の木材でできていますが、ところどころに緑のパステルカラーが使われています。この色はオランダ人が好んだ色で出島の建物は和洋折衷の様式を取っていることがわかります。
建物の中で一番大きな役割を果たしたのが「カピタン部屋」です。カピタンとは和蘭商館の長のことで、貿易の交渉をする重要な人でした。カピタン部屋はこの商館長の住居でしたが、その他にも有名なシーボルトや日本の役人などが滞在したと言われています。
主要建造物には、その他「ヘトル部屋」があります。これは副商館長の住居ですが、現在はミュージアムショップになっています。
建物の中は、例えば写真の「一番船船頭部屋」でわかるように、畳の部屋になっていますがインテリアは洋風。ここでも和洋折衷になっています。1階は倉庫として使われ、2階はテーブルやベッドなどが置かれプライベートな部屋として使われていました。
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カピタンが使っていた部屋
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ヘトル部屋
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一番船船頭部屋。和洋折衷のインテリア
出島を歩くときには場内マップを見ながら歩くと今どこを歩いているのかわかりますが、出島の東の角にある「ミニ出島」を見ると全貌が良く分かるようになります。このミニ出島の近くには洋風の2階建ての建物が2つ建っています。一つは「旧内外クラブ」、もう一つは「旧出島神学校」です。旧内外クラブは、ベージュの壁に黄緑色の窓枠のある建物で、ここは当時、出島に住んでいた外国人と日本人の社交の場として使われていました。現在はレストランになっています。旧出島神学校は水色の美しい洋風の建物で現存する日本最古のプロテスタントの神学校です。現在は「出島資料館」として使われています。
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出島の全貌がわかる「ミニ出島」
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旧内外クラブ
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旧出島神学校
出島は夜も9時まで開いているので、午後4時くらいから行って、見学した後のレストランで夕食をとり、その後ライトアップを楽しむと2倍楽しめます。
場内の各建物だけでなく、出島から歩いて約3分のところにある出島ワーフからは長崎港越しの風景が楽しめます。出島ハーバーには個人所有のヨットが係留されていて、夜にはイルミネーションを施しているものもあるので、昼間とは違った夜の美しい風景には思わずため息が!出島ワーフにはカフェやレストランがありますから、港町ならではの風景を眺めながらドリンクやデザートを味わうのも良いかもしれませんね。
江戸時代に日本で唯一外国との接点だった出島は、明治になり開国するとその役割が終わり、周辺も埋め立てられ長いこと忘れられていました。その「遺跡」を復元したのが現在の「出島和蘭商館跡」です。復元工事は1951年に始まり、今ではほとんどが元の姿に戻っています。日本だけではなく、当時の世界の状況を反映している出島は貴重な歴史的遺産として私たちに多くのことを語りかけてくれます。
文:Setsuko Truong
メルボルン在住のフリーランスライター。旅とアートが趣味で日本国内・海外あちこち旅してきました。長崎は好きな町の一つ!そんな長崎の魅力をお伝えしたいと思います。
写真提供:長崎県観光連盟ほか
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ライトアップされた旧出島神学校
長崎港ぞいにある出島ワーフにはレストランやカフェが。
出島ハーバーには、たくさんのヨットが係留されています。
掲載日:
2019/03/20
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〒850-0862 長崎県長崎市出島町6-1